平成十七年五月二十九日  於・正行寺関西道場(京都)

         

爽やかに晴れ心地よい気候のなか、第26回目の職人を囲む会が開かれました。今回は京都で220年間10代続いて和蝋燭を作っておられる、「わた悟」の和谷篤樹氏(わたにあつし氏)よりお話を聞かせていただきました。

             
     
             

 年に1回くらいは大谷大学で話しをする機会がありますが、学生さんなどで和蝋燭を知らない人は80%くらいおられ、西洋蝋燭やスーパーで売っている家庭で使う白い蝋燭を和蝋燭と思っている人も随分おられるのが現状です。このようなことなので、知られているようで知られていない和蝋燭についてお話したいと切り出されました。

 蝋燭は奈良時代に中国から仏教と共に入ってきたと云われています。蝋燭の炎は悪霊を浄化させるということで使われていたようです。当時の蝋燭の原料は「蜜蝋」と呼ばれ、蜜蜂の巣から取った蝋です。この蝋は数も少なく手に入れるのが困難なものでしたので、極限られたところで使われました。一部の貴族の人達や寺院だけであったようです。その後、遣唐使の廃止などがあり、中国からの輸入も途絶えがちになり、平安時代一端途絶えます。資料には残っていないのですが、室町時代になって復活したようです。しかし依然として一般の人々が使えるものではありませんでした。
その後江戸時代になって、日本独自の和蝋燭を作り始めました。この和蝋燭の原料は「櫨(はぜ)」の実から取る蝋です。櫨は20種類くらいありますが、蝋燭に使える蝋がとれるのは6種類くらいです。江戸時代の和蝋燭はまだまだ貴重なものでしたので、庶民が使うことはありませんでした。一般の人達が灯りとしたものは、灯心(とうしん、または、とうしみ)と呼ばれる「藺草(いぐさ)の髄」を油に浸して、それに火を着けて灯りとしました。江戸時代後半になって蝋燭が少しづつ庶民にも普及し始めました。
 その頃京都では80軒ほどの蝋燭の職人が仕事をしていました。現在は5軒になっています。全国では17?8軒です。非常に少なくなっています。何故少なくなったか。その原因は西洋蝋燭です。西洋蝋燭は、先ず値段が安い。安定した品揃えで量が確保されているからです。私が蝋燭屋でなかったら西洋蝋燭を使っているでしょう(笑)加えて明治時代に入って西洋蝋燭が売り出され、電気の照明の普及とともに蝋燭職人さんが一気に減ったのです。明治から昭和までで70軒の職人さん達がおられなくなったということです。

 何とか和蝋燭を復活させなければならないので、昭和になって和蝋燭の原料を安いものから取ろうということで、米糠(こめぬか)から取った蝋、玉蜀黍から取った蝋、椰子の実から取った蝋など、様々な種類の蝋が試され使われました。しかし、櫨から取った蝋に勝るものはありあせん。値段が高いので使うのは苦しいのですが、「わた悟」では櫨の蝋にこだわっています。何故櫨の蝋が良いのか、先ず炎が非常に美しいです。静止したり横に揺れたり、呼吸しているように感じます。その上、油煙(スス)が非常に少ないのです。
 櫨の蝋は九州長崎から取り寄せています。普賢岳噴火の時は櫨が駄目になり、お取り引きいただいているお寺さんにお願いして一時期、違う材料で製造したときもありました。「わた悟」では比較的大きな蝋燭を作っています。お寺さん用です。東本願寺、佛光寺、興正寺、大覚寺などに納めてさせて戴いています。
 櫨の蝋をとる作業は大変な苦労です。11月ころに紅葉した後、実を取り、次に細かく潰します。それを蒸し、その後で搾ります。労力を使う仕事で、二人で一日に汁椀くらいの大きさの蝋が30個くらいしか生産できません。また、本櫨(ほんはぜ=櫨の種類)から搾った蝋を作っておられるのは、島原の本田さんというところ1軒になっています。

 絵蝋燭というものがあります。会津若松では伝統のある絵蝋燭がありますが、全部佛事用で菊や蓮の絵が描かれています。「わた悟」では新しい感じの絵蝋燭を作っています。(絵蝋燭を皆さんの席にまわして下さいました。菖蒲の絵と紫陽花の絵でした。絵は和風でもなく西洋風でもない素直な感じのする花でした。)(ここでお持ちになった白い蝋燭に火を灯されました。ライタ?ではなくマッチを使って火をつけられましたが、和谷氏のこだわりだそうです。蝋燭の火はゆっくりと揺れながら時には静止して幽玄な感じを醸しだしていました)

 蝋燭の大きさは重さで表します。匁(もんめ)を使います。1匁は約3.75グラムです。(お持ち戴いた特大の蝋燭について)この蝋燭は東本願寺御影堂で使われるもので、800匁(約3kg)あります。炎の高さは約30cmくらいまで上がります。ちなみにお値段は2万円前後です。普段は400匁や300匁を使って頂いています。

 蝋燭の製法について。初期の蜜蝋の蝋燭の製法は、蜜蝋を鍋で煮て溶かし漉してから凧糸のようなものを蝋に浸して引き上げ、冷めて固まると又蝋に漬けて引き上げ冷ますということを繰り返したようです。ですから出来上がった形は紡錘形(なすびのような形)をしていたと考えられます。
時代が下がって櫨の蝋が出来てきて、数も多く作るようになると、違った製法が生まれました。「生掛け」(きがけ)あるいは「手巻き」と云います。棒に芯材を付け、溶かした蝋(摂氏50度くらい)を手で掬って、芯材を回しながら巻き付けることを何回も何回も繰り返して作ります。この製法で作った蝋燭は断面が年輪のような模様がついています。今この生掛けで作っておられるところは極わずかです。「わた悟」でも先々代でこの技法は止めてしまいました。理由は数が出来ないからです。現在の製法は「型鋳込み」です。木製の型に蝋を流し込んで作ります。

 蝋燭の形。宗派によって形や色が違います。浄土真宗は「碇」(いかり型)(別名、京蝋燭)で上部に向ってカーブを描きながら広がっている形です。別に「棒型」があります。垂直の棒状で、上の方が少し太くなっているものから、真直ぐなものまで僅かな違いはあります。佛光寺本山、興正寺本山は棒型の赤が使われ、真言宗、禅宗は白の棒型です。それ以外は西洋蝋燭です(笑い)。まだ西洋蝋燭でもましかと思います。地方に行くと電気のところもあり、それを見ると蝋燭を上げたくなります(笑い

             
     
             

この後、記録ビデオを拝見しました。


 内容は、本願寺報恩講のお荘厳を紹介し、特に蝋燭については「わた悟」を取材したもので、当主和谷 氏がお若いころのものでした。製法の紹介を映像で見ると本当によく理解できました。最後に和谷氏の 母上(先代さん)が語られた、「お荘厳の一部をさせて戴くことは、お念仏に生かされているのだと実 感しております」とのお言葉は心に響きました。

 先代と兄弟と跡継ぎのこと。今、三男の私が「わた悟」を継いでいますが、先代は母です。父は学校の教師をしていました。母は和谷家に嫁いでから祖父に習って仕事を継ぎました。子供は私を含めて男子3人おります。長男は子供の時から学校の先生になりたいと希望をもっていました。そのことについて母は何も云いませんでした。次男は非常に器用でしたし、大学を出て後を継ぐことは99%決まっていました。が、卒業間際に留学をしたいと言い出しました。訳はハーモニカにあります。子供の頃三人揃って近所のハーモニカ教室に通っていたことから、皆が演奏が好きになり、長じてはかなりの腕前になっていました。次男も大学時代のサークルでハーモニカクラブに入り、ヨーロッパで演奏家に会って自分も何とかやって見たいと思ったようです。日本のハーモニカ連盟の会長さんが家に来られ次男を留学させてやってくれないかとの説得もありました。母はこの話を聞いて「ちょっと考えさせてください」と申しました。考える時間は2?3分くらいだったと思います(笑)。「わかりました。行きなさい。しかし条件があります。もし3年間留学してプロになれずに京都に帰ってきても、蝋燭屋はさせません。この条件を呑むのなら行きなさい」ということでした。次男は何も考えずに喜んで行きました。私はそのころは蝋燭のことなど何も考えておりませんでした。学生のころの若さゆえ遊んで夜中の2時3時ころ家に帰ると、母が仕事をしている姿をみることがあり、少し心に沁みるものがありました。蝋燭を造っているなかで、製品の試験をするために蝋燭を灯すことがあります。ある日蝋燭を灯していましたが、母が他の用事ができ部屋を空けることになり、火の番を頼まれました。蝋燭を作るところは毎日のように見ていましたが、蝋燭の炎をじっと見つめたことは始めてでした。真っ暗な部屋の中で大きな蝋燭が燃えるのを見ていると、何かを語りかけてくるように感じました。このままではいけないと急に思うようになり、明くる日「継ぐのは私ではどうだろうか」と母に話しました。母はだまって頷いてくれました。こうして後を継ぐことになったのです。大学も即刻止めました。余談ですが、3年間ドイツに留学した兄は18年間居りました。兄が帰ってきてから私に云ったことは「母が云ってくれたことがあったから続けられた。もし駄目なら帰っておいでと云われていたら2年で帰ってきただろう」と述懐しております。



お話は終わり質疑応答に入りました。


○ 見本に持ってきていただいた大きい蝋燭(800匁)はどれくらいの時間灯っているのか。蜜蝋の蝋燭はススが出ないと聞いているが真偽のほどは?
大きい蝋燭は約12時間もちます。もっともつように感じられるかも知れませんが、芯が大きいので炎も高くあがります。(司会者の方から、費用をお出し頂けたら実際に火をつけることもできます。とのジョークが飛び出し、全員爆笑しました) 50匁の蝋燭で約3時間もちます。
 蜜蝋に関してススは少ないと思います。ただ蜜蝋の蝋燭は流れやすいので大きなものはつくりにくいと
 聞いております。
○ 蝋燭を灯していて、蝋が縁に流れだしますが、それは安物でしょうか?
蝋は必ず流れ落ちます。風が吹いたりするとどうしても流れます。ただ流れかたが問題です。溢れるように流れて形がくずれるようなものは問題です。原料に影響されていると考えています。時々流れすぎるということで持ってこられるのを見ると、櫨蝋でないものが多いです。
 別のお話ですが、家庭のお仏壇などでは、西洋蝋燭ですと油煙が金具や箔にこびり着いて、後の始末が
 大変です。安い蝋燭を使ってお仏壇を傷めて修繕にお金がかかるのが良いのか、日頃少し高めの櫨蝋の
 蝋燭を使って、お仏壇を大事にするのが良いのか、よくお考えください(笑)。
○ 西洋蝋燭の材料は何でしょうか?
石油系のパラフィンです。芯は凧糸のようなもので出来ております。
○ 櫨蝋と他の材料の蝋の違いを素人が見分けることが出来ますか?
非常に難しいです。専門家は臭いで判りますが。火を灯すと流れやすいので少し違いは判ります。ただ、今は、櫨蝋の蝋燭は非常に少ないですから、椰子の蝋などは間違いないとおもいます。いずれにしても、お買い求めの時に、原料は何ですかとお聞きされることが大事だと思います。

 和谷氏ご兄弟は今もハーモニカをやっておられ、それぞれに有名な方だそうです。ご本人もアンサンブル部門では世界チャンピオンを2回も受賞されている腕前です。折角ですから演奏をお願いし、ご本人も機会ある度に演奏されているとのこと。今回も選りすぐりの3曲をご披露下さいました。やはりプロの腕前、70名近い参席者がありながらシンと静まりかえったなかで、やさしい息づかいの音色が響きわたりました。職人を囲む会では始めて異次元の世界に引き入れられ、お話の感動とともに素晴らしい体感をいただきました。
 
 220年、十代にわたる伝統を守り妥協のないもの造りのなかで、絵蝋燭など新しいものを創造して行かれる和谷氏の姿勢を聞かせていただき、伝統が伝承される実体を拝ませていただいたと感じました。ひたむきで気負いがない職人世界の奥深い楽しさを見せていただいた思いでした。伝統の奥に流れる見えない用きを今回も感じさせていただき、とくにお荘厳に関わられるお仕事の徳を思わずにはおれませんでした。


        合掌
       
 大坂  衣川亮一 拝